住所 群馬県渋川市北橘町
探訪日 2008年4月8日 晴れ
ご案内の通り、木曽三社神社は木曽義仲を祀るために、筑摩郡の三座(岡田神社・
沙田神社・阿礼神社)を勧請して創建。
木曽明神、滝の宮とも呼ばれている。
「滝の宮」の呼称は、建立場所が深い谷底だからでしょうか?
直感的に、納得できる名前です。
こういう位置づけの神社は、初めてでした。
駐車場は、数十メートル離れた場所で、収容台数は10台ほどでしょうか。
参道入り口の鳥居と御神灯。
鳥居の先に見えるのは、拝殿の屋根と、谷底に下る参道の手すりです。
周りの樹木が、清清しさと神聖さを感じさせる風を送ってくれます。
鳥居をくぐり数メートルで、景色が一変します。
谷底に下る参道より見下ろした拝殿です。
急な階段は、否応無く緊張感をもたらします。
谷底には、小さな川の流れ、左手には、地元の方々用のリクリエーション施設が
ありました。
間口三間半、奥行き二間の拝殿。
高い石垣は、山城を連想させます。奥の本殿の敷地まで考えますと、地盤作りだけで
莫大な工数をかけたと想像します。
関東管領上杉氏や白井城主、前橋城主の力の大きさを物語るのでしょうか。
特徴的なのは、狛犬の代わり?に大きな滑石があること。
今度再訪したときに、どういう由来をもつか調べておきます。
拝殿の力強い彫刻です。
獅子の胴体部を形作る梁の曲がりは、木曽三社の特徴です。
左端に「瀧之宮」の文字が見えます。
「滝の宮」の名前の由来ですね。
墨が明確なところをみますと、寛政6年(1794年)ではなく、明治2年の修復時
に作ったものかも?
波志江祇園祭の屋台を作り直すには1億円かかると聞きました。
現実は、狂いの出ない材料を揃えるのさえ、困難らしい。
とすると、これだけの構造物を作り直すのには、数十億円単位かも?
こういう歴史的建物は、公的な保護が必須と思いますが、財政を考えると
なかなか難しいでしょうね。
結局、信奉者(檀家?)の経済的衰退とともに、歴史的役割を終える
運命なのでしょうか?
私がネットに情報を残すことで、歴史的価値の保存にわずかでも
役立てたら本望です。
獅子、鯉、額縁の竜等の彫刻が見事です。
残念ながら、私には額の判読ができませんが、再建の喜びを記録した
ものでしょうか?
屋根の木組みも、ゆがみなく劣化が少なくみえます。
個人の木造住宅の寿命は一般的には30年。
同じ木材を使った神社は、数百年。
この違いは、何でしょうか?不思議です。
右手が本殿、左手が拝殿です。
この敷地の東側に幣殿、その北側には灯篭列があります。
→伊勢崎・石山観音 →前橋・二ノ宮赤城神社 →太田・冠稲荷神社
→前橋・滝沢不動堂 →伊勢崎・波志江祇園祭 →渋川・木曽三社神社
ご連絡先→aaw66341(アットマーク)gmail.com